悩める文学部生

田舎の文学部生の徒然なる記録です。 映画・本・マンガetc…時々真面目に

澤田のまとめ(2016.2.23 現在)

今の自分の言語化を1度整理もかねて

今したいこと
→海外に行く(TESOLをとる)
今してること
→来年度準備、あと仕込み
これから成し遂げたいこと
→高校生にその子のヒーローに会う機会を作る

ヒーローの定義付けから
ヒーローとは憧れの存在
簡単にいうと
「うわ!やべえ!おれもこうなりてえ」と思える対象

高校生がヒーローと会えるようにしてあげたい。

小さい頃(幼稚園、保育園、小学校低学年くらい)までの「ヒーロー」は単純でアニメのなかや、漫画のなかにいて

その「ヒーロー」が
「テレビを見るときは、部屋を明るくして、テレビから離れてみようね!」
みたうなお約束を子供達は素直に聞いている。

これは親やまわりの人がいうよりも効果があって、それは多分その言葉を話しているのがプリキュアであったり、ポケモンのサトシであったりと子供達の憧れの存在だからだと

でも中学、高校になるにつれて
いろんな経験やいろんな価値観にふれて
その子の価値観も広がってきて
「ヒーロー」の条件が複雑になって
細分化されていく。

だけど
子供達のいる環境、触れている環境が
親とその親戚、親の友達、学校の先生
という一定のものからほぼ変化しない。

小さい頃は「ヒーロー」が単純で
そこから見つかっていた

本来なら
年をとって「ヒーロー」像が増えていくのに対して比例して、その会える「ヒーロー」候補の種類も比例して増えなきゃいけないのに
それが行われていない

もちろん高校、中学で「講演会」などをしてくれるけど、それはまだまだある一部の「成功者」であって、それが「ヒーロー」像に当てはまらない子もいるはず

憧れの存在がいれば
それに近づくための努力はできる
憧れの存在がいれば
それをモデルに将来のルートを想像できる

これがすごくぼくの中では大切なこと
だといま思っていて
どうにか形にする。

という(2016.2.23時点の澤田)
2016年度は本当に大きく動く年だから
いまの時点でのまとめ。